意見陳述書(1)
 私は,キリスト者遺族として,この訴訟の原告となったその思い(意見)を述べさせていただきます。

 私たちは肉親を戦争によって奪われたものの悲しみを抱いて戦後を生きてきました。失われた生命は取り返すべくもありませんが,今なお,戦争の犠牲に耐えておられる方々があります。特にアジア諸国には,日本軍の侵略による傷あとが癒されない方々が多数おられます。このことを考えると私たちは,愛するものの死と,残されたものの痛みとを,世界平和のために生かすことが悲しみに耐える道であり,この不幸を意義づける道であると考え,微力ながら平和をつくり出す努力を積み重ねてきました。特にキリスト者遺族として「靖国神社法案」「戦没者等の慰霊表敬法案」「天皇・小泉首相など公人の靖国神社参拝」などは「日本国憲法」の根本原理に違反すると訴え反対してきました。

 しかしながら,最近の日本の急速な軍国主義化を懸念させる一連の出来事の中で昨年,小泉純一郎首相は4月の自民党総裁選で「8月15日の戦没者慰霊祭の日に,いかなる批判があろうとも必ず靖国神社に参拝する」と公約して以来,内外の激しい抗議が起こったにもかかわらず,8月13日に「首相である小泉純一郎が心を込めて参拝した」と公式参拝を言明しました。しかも首相は参拝の理由を,「戦没者への敬意と感謝を捧げるため」「戦没者への慰霊の気持ちでお参りする」と述べて参拝しました。

 小泉首相のこの言動は明らかにかつての侵略戦争の責任を蔑ろにするだけでなく,私たち人間の最も基本的な精神生活の自由を保障する「信教の自由」に違反し,私たち個人の信仰,思想,良心を著しく侵害するものです。 

 靖国神社は,明治天皇の勅令によって創建された神社であり,その祭神は天皇のために死んだ者のみが「英霊」(神)として祀られ,天皇の参拝を受けることで無上の「栄誉」と「慰め」を与えられ,あの戦争は「偉業」であると侵略戦争を賛美している神社であります。しかも,戦没者の合祀は一方的で,戦没者と遺族の信仰と信条,内面の自由を無視して進め,挙げ句の果てにA級戦犯者をも,遺族の意思を問うことなく合祀しました。 私の場合,父が朝鮮総督府の警察官でした。敗戦直後に徴用で呼び出されたまま消息不明となりました。母は幼い子ども3人をかかえて引揚げてきましたが,途中で私の妹2人がなくなりました。母はひたすら父の帰りを待ちましたが帰還せず,やむをえず「未帰還者特別措置法」による「戦時死亡宣告」を受けました。敗戦後20年近く経過していました。私たちは,愛する父と妹たちの「髪の毛さえ無い墓」の前で,キリスト者としての信仰をもって祈念してきました。ところが突然,靖国神社から,父を「靖国の神」として合祀したという通知状が送られてきたのです。その時の怒りと悲しみを未だに忘れることができません。
 靖国神社と国の機関によるこのような一方的合祀は「基本的人権」の侵害であり,信仰によって生きている者にとっては著しい霊的侵害となっています。小泉首相の参拝によって私たちの内面はいっそう深く侵害されたのです。戦没者の追悼は,戦没者の遺族がその信仰と信条に基づいた固有の方式で行うべきであり,国家が一方的にその死を讃え,慰霊表敬を行うことを私たちは拒否します。

 遺族として私たちは,日本軍の侵略によって命を奪われ,多大な犠牲を強いられ,今なお戦争の傷あとの癒えないままに苦しんでおられるアジアの遺族たちのことを忘れることはできません。アジアの人たちは,かつて天皇の名のもとに侵略した日本の戦没者を「英霊」と呼ぶ軍国主義の象徴である靖国神社が,いまだに存在していることは脅威であると述べています。またその神社に,朝鮮人,台湾人の戦没者が48,292人も,一人一人の遺族に何も連絡もしないで,一方的に「英霊」として合祀していることは不可解である,自己の意志に反して戦争にかり出されたこれらの戦没者も,天皇のために死んだというのでしょうか,と李仁夏牧師(在日大韓基督教川崎教会)は述べておられます。

 今度の小泉首相の靖国神社参拝に対して,中国,韓国などアジア諸国から激しい抗議を受けたのは当然のことでしょう。あの侵略戦争への反省と責任を蔑ろにし,人々の信頼を裏切った小泉首相の言動は明らかに憲法違反であり,私たちの心への侵害であることを強く訴えます。

                                              2002年3月7日
                                              意見陳述人 K.A.




意見陳述書(2)
 私はF.Y.と申します。現在,とめよう戦争への道!百万人署名運動の一員として戦争反対の運動に携わっています。とめよう戦争への道!百万人署名運動は1997年9月に結成された日米新安保ガイドラインとそれに基づく有事立法に反対して立ち上げられた反戦組織です。戦争反対を唯一の目的に掲げて「小異を認めて大同につく」を合い言葉に思想,信条,信仰の違いを乗り越えて結集した市民運動体です。仲間と共に署名を集め,賛同をお願いし,戦争反対のネットワークをひろげてこの戦争を何としても押しとどめたいと願っているものとして,今回のヤスクニ訴訟に参加しました。

 昨年8月13日,小泉首相は靖国神社の公式参拝を強行しました。しかし,アジアの人々,日本の民衆の激しい抗議に遭い,前倒しせざるを得ませんでした。小泉首相は「尊い命を犠牲にして日本のために戦った戦没者に敬意と感謝の念をささげるのは当然」「首相として靖国神社を参拝する」といいました。この物言いを私は認めることができません。

 「尊い命を犠牲にして日本のために…」といいますが,日本のために戦った兵士たちは一体なにをしたのか!南京大虐殺,三光作戦,生体実験等々アジア諸国に侵略して無辜の民を虐殺したのではないですか。そして自らも殺されたのです。アジアの民衆の側に立てば親兄弟子どもたちを殺され,家を焼き払われ,娘たちは従軍慰安婦として狩り出されたのです。マルタと呼ばれ,行きながら様々な実験の材料にされて殺されました。15年に亘るアジア侵略戦争でのアジア諸国の死者は2000万人をはるかに超えるといわれています。私の父も戦没者です。下の弟が母のおなかにいるときに二度目の召集を受けて出征し,台湾からフィリピンに渡る途中で戦死しました。父は弟の顔を見ていません。弟は父を知らずに育ちました。父の死は犬死にです。顕彰されるようなものではありません。父は出立に先立ち,母に「醤油を飲んで腹下しになるか」と言っていたと聞きました。父は絶対に行きたくなかった。でもそうするには遅すぎたのだと思います。 「尊い命を犠牲にして日本のために戦った」などと戦死者を祭り上げて「英霊」化するのは,この戦争犯罪を美化し,肯定するものです。また,このことは過去の問題ではありません。過去をこのように扱うと言うことは,これからも同じことを狙っているということです。これからの日本人はあの時のように命を犠牲にして国のために戦えといっているのです。 

 アジアの民衆も私たちも「尊い命を犠牲にして日本のために戦った」などという発言を断じて許すことはできません。
 さらに,小泉首相は「首相として靖国神社を参拝する」といい,轟々たる非難の中,公式参拝を強行しました。

 そもそも靖国神社とは何か。
 靖国神社は国が行った戦争で戦死した人を神として祀り,慰霊し,その功績を顕彰することを目的としています。15年戦争の渦中では,この神社は出征兵士の出陣の儀式の場であり,日本軍が各地で勝利したときの祝勝と感謝の場であり,また新たな戦死者を迎えて祭神として合祀する場でありました。靖国神社は国民の戦意高揚の施設であり,国が戦死者の行為を褒めたたえて名誉をあたえる場でありました。戦時中の靖国神社の例大祭では戦死者の霊を靖国神社の境内に招き降ろし,その霊が取り付いた名簿を本殿に安置し,翌日天皇が参拝して祀られた戦死者を正式に神とする儀式が行われました。これによって戦死者の天皇への忠節と勇敢な行為が称えられ,戦死者の霊が慰められるとされたのです。遺族も死んだ肉親が神とされ,天皇から名誉を与えられることを感謝して受け入れなければならないように仕向けられました。

 靖国神社は侵略戦争遂行のために民衆の心を動員するための宗教施設として大きな役割を果たしました。靖国神社は戦死者を英霊にすることによって人々から人としての魂を抜き取ったのです。日本の民衆は本来手をつなぐべきアジアの民衆を蹂躙する侵略戦争の手先になり下がりました。私たちはこのことをとことん自己批判し,心から謝罪しなければなりません。謝罪するということは二度と戦争をおこさないということです。力を合わせて戦争勢力に対決し,戦争勢力を打ち倒すことだと思います。

 さて,では靖国神社は戦後変わったのかということです。全く変わりませんでした。
 敗戦後,靖国神社は天皇制と共に存続されました。まことに残念なことです。国家神道は解体されたものの神社神道は宗教として生き延びました。靖国神社は都知事の認証を得て宗教法人となり,天皇のために,国のために死んだ人を神として祭るという戦前と変わらぬ目的を打ち出しました。靖国神社にはアジア侵略戦争,太平洋戦争に対する反省など全く無いのです。1952年には天皇,皇后が靖国神社を参拝しました。1969年自民党は靖国神社法案を国会に提出しました。第1条に「戦没者及び国事に殉じた人々の英霊に対する国民の尊敬の念を表す」とあるようにこの法案は国家神道を復活させ,靖国神社を国営化しようとする,憲法違反も甚だしいものでした。広範な反対運動の中で,自民党は5回も国会に提出しましたが1974年廃案になりました。

 靖国神社の国営化に失敗した推進勢力は天皇や首相の靖国神社公式参拝を実現しようと動き始めました。推進勢力は「英霊にこたえる会」を結成して,元号法制化運動,公式参拝運動を展開しました。靖国神社は公式参拝運動を背景に戦死者の合祀を進め,1978年にはA級戦犯14人を遺族にも知らせずに合祀したのです。激しい抗議の声が上がりました。1980年11月には公式参拝は違憲とする政府統一見解が出されました。

 そして1982年,中曽根内閣が成立し,83年自民党の靖国問題小委員会は公式参拝合憲論を打ち出しました。85年7月中曽根首相は「国に殉じた人を国民が感謝するのは当然のこと,さもなくばだれが国に命を捧げるか」と発言し,8月14日,「公式参拝は違憲ならず」と政府統一見解を変更しました。そして翌8月15日,中曽根首相と18人の閣僚は靖国神社への公式参拝を強行したのです。アジア諸国から一斉に非難・弾劾が浴びせられました。中曽根首相は86年公式参拝は中止せざるを得ませんでした。

 こうした流れに沿って今回の小泉公式参拝があるわけです。戦前と全く変わらない英霊を顕彰する施設としての靖国神社に首相として参拝するということは再び侵略戦争の時代に突入することを示すものです。私たちにとっては思想,信条,信仰の自由などが全面的に奪われる暗黒の時代の到来を意味しています。絶対に許すことはできません。

 私は昨年8月15日はじめて反ヤスクニ闘争に百万人署名運動の皆さんと共に参加しました。その中で,ヤスクニ闘争は教科書闘争と同じく反戦闘争の重要な一翼であることを知りました。営々と闘い続けておられる方々に敬意を表し,私もその後に続こうと決意しました。そしてヤスクニ訴訟の原告の一人になりました。これからも皆さんと共に反ヤスクニ闘争にかかわっていきたいと考えております。

                                              2002年3月7日
                                              意見陳述人 F.Y.                      

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